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常光寺について
臨済宗南禅寺派とは常光寺の歴史ご本尊 地蔵菩薩西の大関「八尾地蔵」狂言「八尾」八尾地蔵通夜物語又五郎太夫藤原盛継鰐口常光寺編額八尾別当顕幸墓常光寺の石地蔵大坂城の残石森本行誓宝筺印塔大坂夏の陣高虎と七十一士位牌血天井河内名所図会から見る常光寺
大坂夏の陣

藤堂家家臣七十一士墓   元和元年(1615)五月六日の大坂夏の陣の合戦において八尾、萱振、久宝寺は西軍の長曽我部隊と東軍の先鋒藤堂隊との激戦地となり、両隊とも多くの戦死者を出した。
   この頃、常光寺は南禅寺の金地院崇伝の抱え寺として保護され、藤堂高虎は方丈の縁側で西軍戦死者の首実験をした。現在、その縁側の板は、血天井として残されている。
   藤堂家家臣七十一士の墓は、東面して立ち、前列には高さ90cm、乃至150cmの五輪塔が六基並び、後列には一石五輪塔が肩を並べる様に配置されている。
   前列は右から桑名弥次兵衛・藤堂勘解由・山岡兵部・藤堂仁右衛門・藤堂新七郎・藤堂玄藩ら家臣で、中央の藤堂仁右衛門が最も大きい。いずれもその地輪には、姓諱、事蹟が刻まれている。
   宝暦十四年(1764)戦没150回忌にあたり、その遺族らがあいより、記念碑を墓域西南隅に建てて冥福を祈った。これが勢伊死事碑である。
   このとき藤堂家からは、篆額を賜り、寺には銀千両が寄進されている。
碑には、東軍の動き、戦死者奮戦の状況、建碑の由来が彫られている。
阿弥陀堂にはこれら七十一士の位牌が祀られている。