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古文書
足利義満御内書藤堂高虎書状徳川家康禁制以心崇伝書状
足利義満御内書

足利義満御内書
   南北朝の戦いが終わりに近づいた康応元年(1389)、室町幕府3代将軍足利義満は、高野山に参詣した。この帰路、義満は常光寺を尋ねた。京都に帰ると、直ちに当寺河内守護である山名義理に無事に工事が終るように命じた。
この文書は、義満の自筆のものと言われています。
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藤堂高虎書状

藤堂高虎書状
   藤堂高虎(1556〜1630)は、安土桃山時代の大名。
豊臣秀吉に仕えたが、のち徳川家康に仕え大坂夏の陣に参戦した。
文書は常光寺への音信で、遠距離にいるため寺に参れないことを心細やかに述べている。 ページトップへ

徳川家康禁制

徳川家康禁制
   慶長5年(1600)9月、関が原の戦で徳川家康が勝利をおさめた。同8年には、家康は征夷大将軍となる。しかし、畿内の社寺の保護は、豊臣秀頼によって引続き行われていた。同19年には、大坂冬の陣、翌20年には大坂夏の陣をむかえ、豊臣氏は滅びることになる。
   この文書は、徳川家康が関が原の合戦後、常光寺を戦乱から守るため出した文書です。
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以心崇伝書状

以心崇伝書状
   以心崇伝(1569〜1633)は、臨済宗南禅寺塔頭金地院の僧。常光寺・真観寺を江戸時代のはじめに抱え寺とした人物。文書は、常光寺から掛け軸を受け取り、そのすばらしさを申し述べたものである。
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